自己肯定感という話を派遣先で知り合った人に聞き、はじめて知りました。
僕は20代半ば…2年ほど、狂ったように読書をしてました。※彼女もいなくやることがなかったので。
よく読んでいた書籍のジャンルは、IT全般の技術書(といっても図が多い、とっつきやすいやつ)と心理学です。
自己肯定感は読んだまま「ありのままの自分を受け入れる」ということのようです。
初めて、この言葉を聞いたのは派遣先で知り合ったギターリストの人(以降 セミさん)です。
いまではこの方とは疎遠になっています。
たまに会話を思い出してはいまだに納得がいかないので文書化すれば理解できるかと思い書いてます。
まず、こんな会話がありました。
どういう流れで話したか忘れましたが、妻と妻のお父さんの確執を話したときのことです。
妻はお父さんのことが嫌いです。
嫌いになった理由は、お母さんがガンを患い死期が近いとき、お父さんが他の人と再婚したのが理由です。これを許せないそうなんです。
※補足 : 妻はネパール人なので、一夫多妻文化があった国ではあります。
自己肯定感の欠如ですね。
うん?
はじめて、自己肯定感を聞いたのは、こんな内容の会話だったと記憶してます。
自分が言ったことは覚えていますが、「自己肯定感の欠如」的なことを言ったまでは覚えているけど…
上記の会話をしたとき、ここで使われる「自己肯定感」が理解できなかったこと。
それと、妻と妻のお父さんの話は、妻が大好きなお母さんにしたお父さんの仕打ちが理由だと思います。
そこに「自己肯定感」というのが僕には理解できません。
個人的には、人が「嫌い」という感情が答えなので、かならずこれには理由があります。
中には自己肯定感が理由になる場合もあるでしょうけど、他者とのやりとりでは自己肯定感だけで片が付くとか意味が分からないのは僕だけでしょうか。
ちなみに、このセミさんは僕に金儲けの話の精査をよくメッセンジャーで聞かれるようになりました。
ほとんど詐欺のような話ばかりでしたが、やるのは本人しだいなんで僕の見解だけ話しました。
この手の話を聞くのは刺激になりますので、すぐに調査し返信していたのを覚えています。
で、このセミさんが話していたことは「世の中のどこかにはお金を配りたい(恩返し)人がいると思う。」
という意識で、詐欺のような話を見るたびに僕に聞いていたそうです。
話を自己肯定感の話に戻します。次に話すやりとりで、このセミさんとは話すことをやめました。
※かなり長いやりとりでしたが短くします。
自己肯定感があれば、妥協案をとることもなれば…人がもめることもない。
※てきなことを話されていたと記憶してます。
以前、妻の話をした際、セミさんが言われたことは、僕は今も理解できません。
話し手と聞き手がいる状況で、その結果が合意または決裂するだけです。
その結果、妥協案だったり、もめることもあると思います。
当時のメッセージのやりとりを見ましたが、電話でも話していたので正確には履歴なかったです。
履歴を見直すと、僕も冷静に話してないと思いました。
要するに、この会話はセミさんと僕とで自己肯定感の定義が違うのが原因だと思いました。
上記の会話の感じが続き、お互い険悪な感じになりました。
この険悪になっている時点、セミさんの理論は間違っていると思いますが…
とはいえ、僕にも非があることわかりました。
さきほど僕は妻と妻のお父さんを嫌う話で、
“個人的には、人が「嫌い」という感情が答えなので、かならずこれには理由があります。”
と書きました。これでは不十分で、人にはそれぞれ答えがあるということを書いたつもりです。
僕が反省する点は、セミさんの自己肯定感や価値観をそのまま受け入れなかったこと。
文章化してよかったです。
セミさんのメッセージのやりとりも、2年前から非表示にしてたので、
今確認のために見るまで、自分にも非があることがわからなかったこと、反省します。
セミさん元気かな。
僕が非表示にした後も、メッセージが何度も来てました。
メッセージの中には「反省している」という内容のものもありました。
セミさん、昨年の4月から頻繁に投稿されていたFacebookなどの更新がなく心配しております。
最後、僕が冷静にいられなくなった理由の一つに、
自己肯定感は、僕は強い方だと思っております。
個人的に、自己肯定感はいま自分が持っているもの(知識・もの・環境すべて)に満足していることだと理解しています。
これは別記事にします。